ワルシャワ駅前のパブで話しかけてきた若者です。第2次世界大戦では、ヒトラーにに徹底抗戦し、ワルシャワの旧市街は壊滅状態になったそうですが、今は復元して、観光地になっていました。 天動説を唱えたコペルニクスの銅像があり、初めてチェコ人だと知りました。ショパンは天才少年と言われ、ポーランドの音楽界に大... 続きをみる
老人バックパッカーの旅の新着ブログ記事
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この列車です。すみません、前回のスプリートの生地で、ザルツブルグとウィーンの話をしましたが、そのあとの話みたいです。私の勘違いです。何しろ5年もたっていますから。それと、すべてを見てこの文章を書いているわけでもないので。。。いずれにしても、列車の起点はスプリートです。
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ここは芸術の街でした。夜になると、清掃した紳士淑女がコンサートホールにいっぱいいました。ここから列車が出ていて、ウィーンに向かいました。乗り越えミスで、「赤と黒」で有名な、ザルツブルク駅まで行ってしまい、そこから戻りましたので、ウィーンに就くのは夜中になってしまいました。幸いなことに、宿にはオーナ... 続きをみる
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失礼しました。前回は急用ができて、途中で終わってしまいました。 ここはアニメ「魔女と宅急便」のモデルになっている土地との触れ込みで、偶然訪れたのですが、孫と一緒にその映画は見たことがあり、バスで高台からこの町を見た時は映画の地形と同じように感じました。赤い屋根の家、港、時計塔、などが見えました。本... 続きをみる
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中央アジアの旅から戻って、5年がたってしまいました。その後の旅の写真だけはモスクワ空港で暇ができたので、四苦八苦しながらでもアップロードし、アルバニア以降の生地は五日書こうと思っていたのですが、5年がたってしまいました。記事を書く気持ちには今のところなれないので、一応、写真だけを公開します。もし、... 続きをみる
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今ポーランドのワルシャワですが、何とかここまで完成できました。すぐにハングアップするので、これ以上は無理です。帰国後(4月中旬予定)時間が有れば、書きたいと思っています。最後はルーマニアから、イスタンブールによって帰国の予定です。 アルバニアのティラナへのバスのキップを買うべく、バスターミナルへ行... 続きをみる
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度々ハングアップするので、スコピエ編をアップするのにだいぶ時間が掛かりました。この状態が続くと、アップすることが難しくなりそうです。まあ、出来るだけ続けます。今はもうクロアチアの首都ザブレグに来ています。 民泊のアパートに着きました。庭先のベンチに荷物を置いて、暫く待ちました。オーナーはすごいお年... 続きをみる
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ブルガリアからマケドニア、スコピエへの途中の景色です。やはり、寒そうです。 スコピエのバスターミナルの周りは閑散としていて、街の中心がよく分かりませんでしたが、聴きまわってやっと分かって向かうと、2階建てバスが走っていまた。観光を意識したものだそうです。 市街はライトアップされていて、光栄えしてい... 続きをみる
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写真を羅列しすぎると、ブログ作成をしていて、よくハングルので新たなページにします。 アパート(いわゆる民拍)のオーナーのおばあさん(後で考えてみると、一人暮らしみたいですが、英語がうまくてインテリジェントレベルのかなり高い方でした)が、バスでそこへ行き方を懇切丁寧に書いてくれたものです。下の2枚の... 続きをみる
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ソフィアでも色々な予期しなかった遭遇がありました。今、アルバニアのサランガでソフィアでのことを思い出しながら、書いているのですが、なかなか日本のルーティーンの生活では出来ない貴重な体験もありました。 夜行バスでソフィアに着き、バスステーションで夜明けを待って外へ出てみると、そこは粉雪が舞っていまし... 続きをみる
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イスタンブール最大のモスクコンプレックスと言われているSleymaniye Moskから、アジア側を眺めたものです。ボルポラス海峡のクルージングに行ったときに、ひときわ大きくて目立ったので、来てみました。 モスクの中はひときわ幽玄な小宇宙をなしていました。 次の日も来て見たのですが、雪の中のSul... 続きをみる
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パソコンの調子(4年以上前のASUS)が悪いのか、ネットが悪いのか、余りに遅く度々ハングアップします。このままではいつまでもアップできませんので、今日我慢できるところまで続けてこれ以上どうしようもないときは、中途半端であっても公開することとします。 --→何とかその壱は終えることが出来ました。 旅... 続きをみる
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何とか日本から抜け出して、バンコクに行ってまったりすごすことが出来ました。今年の旅の始まりの序章です。 宿はチャイナタウン近くの安宿で、Silomにも歩いていける便利なところです。もっとも僕のたびのモットーは、いっぱい歩くこと(2万歩が最低線で3万歩が目標です。6日間のうち2万歩超が3日、3歩超が... 続きをみる
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昨日はインフォーメーションセンターから出るツアー(7,500ルピア、60円)があったのでいってきました。外人は僕一人で、現地の方の家族ずれが多か ったです。全部で15人ぐらいいたでしょうか。インドネシア語での案内でしたが、一緒にいた現地の方が英語で説明してくれたりして、また写真も取ってくれたりして... 続きをみる
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去年(2018年4月)はスラバヤからジャカルタに戻ったときに、個人的な事情があり、取るものも取り敢えず日本に戻りましたが、その後も色々と(日々のルーティーンに巻き込まれてしまいます)あって、ブログに向かうことが無くなり、そのままになってしまいました。スラバヤ編は途中まで記事を書き、写真はアップして... 続きをみる
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バンドゥンからジョグジャカルタへの列車の旅の途中の風景です。トタン屋根から瓦屋根のうちになってきました。 ジョグジャカルタのメインストリートのジャランマリオボロは片側の歩道が殆ど工事中でした。 安宿は4部屋しかなく、路地の奥のほうにあり、私としては非常に気に入りました。また、王宮、ラーマヤナ舞踊、... 続きをみる
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第2次世界対戦時に日本軍の掘った防空壕のあるパノラマ公園に行きました。修学旅行生がいっぱい来ていました。 その公園でマレーシアから祖父母、親子、友達同士で旅行に来ていたグループに会いました。右から3番目の方が祖父が陽気な方で、私の勤めていた会社の名前を言うとプリンターの会社だと知っていました。ずっ... 続きをみる
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メダンからツアーバス(120,000リンギッド、1,000円)にて4時間近く掛かって、パラパッに着きました。 途中の風景です。田んぼが多く見られました。 メダン近郊はモズリムの寺院が多かったのですが、パラパッに近づくにつれ、キリスト教会が現れてきて、途中からはキリスト教会だけになりました。 地球の... 続きをみる
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ツアーバスと言っていましたが、実際は乗合タクシーで4人相乗りで乗ってきました。ヨーロッパからの老人夫婦とカナダからのおじいさんと日本からのおじいさん(僕のこと)でした。途中の道は舗装されていない道も多く、舗装されていても片側1車線なので、追い越し合戦が激しかったです。僕たちの乗ったタクシーもしょっ... 続きをみる
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ペナンからインドネシアのメダンに入りそこで入国手続きをしたのですが、大変な目に会いました。イミグレで裏の取調べ室に連れて行かれたのです。現役時代にロサンジェルスでオウム真理教の麻原しょうこうの右肩の人がいて(今アフレとか何とか言う新しいカルト宗教集団を興しているみたいですが)、その人に間違えられた... 続きをみる
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いよいよタイからマレーシアへの列車による国境越えです。ハートヤイ駅の写真を撮りました。Haadyaiとなっており、やっぱり現地ではハジャイと呼ばれているみたいです。 これが国境越えの列車で、A4の紙に印刷されたものです。1日2便、朝7時半と午後1時にハジャイを出て、その往復みたいですね。 7:30... 続きをみる
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ショッピングモールの中には桜が咲いていて、日本式の休息所が設定されてありました。 それにしても嬉しいのは、マレーシアとの国境の町で、これほど日本料理が受け入れられていることですね。バンコックでも見ましたが、しゃぶしゃぶとすしの食べ放題の店です。日本人の感覚ではおかしいですが、並んで待つぐらいの大繁... 続きをみる
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国境の町ハートヤイでは、伝説(日本人にとって)の安宿であるキャセイゲストハウスに泊まりました。それはもう古いと言うかぼろいと言うか、すごいですが、ただ部屋は広くて人が集まるための食堂がありました。1960年代以降世界の流れとして若者たちが放浪の旅を始め、日本人の若者たちがアジアの旅に出始めて、旅を... 続きをみる
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3月1日に日本を発ってタイのバンコック入りしてからはや14日も経ってしまいました。 4、5月から翌年の1,2月までの期間を契約アルバイトで働きその合間に旅をする形が定着したのか(?!)、今回は自我精神の開放を十二分に感じ、バンコックで旅を始めてから、自由を満喫していたため(しすぎて?)に、旅の記録... 続きをみる
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2月10日に東京を出発した今度の旅もいよいよ最後の日となりました。長かったような短かったような、帰れる安心感と、またルーティーンの生活の戻るのかとの思いが入り混じった複雑な気持ちです。次はまた来年の2月か3月の出発を目標に「日日是好日」です。 最後の日のお土産買いは大変でした。まず、日本大使館を更... 続きをみる
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カトマンドゥ空港からこのプロペラ機でポカラに来ました。9時出発予定が何と8時半に出発しました。すごい?! 17人乗りで16人が乗って、乗車時間約30分で無事着きました。 機内は狭い上に高さも無く、中腰で乗り込みました。本当に久しぶりにプロペラ機に乗りましたが、思ったより揺れなくてよかったです。 ポ... 続きをみる
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14日の夜カトマンドゥに着きましたが、一言、カトマンドゥはカオス(混沌)の世界ですね。これまで居た昆明が碁盤目状に計画だてられた道路、建物とすれば、ここカトマンズ は、無計画の曲がりくねった道、凸凹道、ほこりだらけ、建物は古く、3年前の地震で 倒れたままのが多く、人がひしめいていてます。もう、驚き... 続きをみる
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いよいよ国境越えです。今回は余裕があり(タイ、カンボジャ、ベトナムは大変でした)、国境越えでぜひ写真を撮りたかったのが、やっと撮れました。 今度の国境越えは、ベトナム側はスムーズで、中国側での手続きは、欧米人2人が係員に電子化システムについて教わっていたので、その係員に機械にパスポートをかざすだけ... 続きをみる
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ハロン湾から戻り、前回泊まった旧市街の1,100円の宿に一泊し、朝食に出たら、比較的近くに、今まで気づかなかったのですが、セロリみたいなねぎ野菜と豚肉がたっぷり載ったフォーがありました。4万ドン(200円)で少し高かったですがうまかった、もっと早く見つけていれば、野菜補給に毎日来たのに、後の祭りで... 続きをみる
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ハノイの安宿から3番の市内バスでバザーラムバスターミナルまで約20分、7,000ドン(40円)。ザーラムのバスターミナルはバスがただ並んでいるだけの何の番号も標識もありません。名詞カードをぶら下げている係員みたいな人に聞いてみると、このバスだといって切符をひったくられました(そのように感じました)... 続きをみる
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突然ですが、ビザの関係でkLに行って来ました。当初は、フエからラオスとの国境の町ラオハオに行き、ラオスに入国してベトナムへ再入国も考えたのですが、フエからラオハオまで8時間かかるから日帰りできないし、カンボジャからベトナムへの入国の際のイミグレの混乱(何故だか一般の人みたいのが勝手にイミグレ出入り... 続きをみる
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ホーチミンシティではバックパッカーの安宿が集まるファングーラオ通りに面している路地から入ったところにありました。地元の人も生活しており、こんな路地でバイクは通るはで、気をつけなければいけません。ホーチミンは広い通りだけでなく、路地でもバイクだらけです。 その狭い路地に店を広げています。生活の匂いに... 続きをみる
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シェムリアップの安宿は8ドル(後ほど6ドルに)でシャワー付でそれも朝食付きでパンと卵の組み合わせですがメニューが6種類もありました。場所も有名なパブストリートやスーパーまで歩いて10分でいける便利なところでした。全部で10泊しましたが、最初の5泊をアゴダで予約を入れて、後5泊を安宿で予約を入れたの... 続きをみる
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まずはよく見かける大定番のアンコールワットの池の前での写真です。照れくさいですが。。。 アンコールワットの回廊の壁にはたくさんのデバター(女神)が彫られていますが、これが唯一歯を出して笑っている像なんだそうです。 2-3百人は入るレストランシアターでのアプサラダンスです。団体客が多く、日本人もちら... 続きをみる
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サボっていたカンボジャのシェムリアップで見かけたことをアップします。 ローカルの食堂で、朝食で豚肉の中身のスープ定食(?)を食べました。例によって、現地の方に倣って、砂糖、唐辛子漬け、酢、タマリンド漬けを混ぜて食べました。豚の血の固まりも入っていて、タイのペナンで初めて試したのですが、大き目の四角... 続きをみる
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東京を出て1ヶ月、カンボジャの街を知らない街を知らない道を歩いています。地図を見ては分からない事、物と出会うのが楽しみです。地図とはまったく違うイメージによく出会います。例えば、地図には広く描いてある道も、実際は広かったり、その逆だったり、庶民の生きている場所だったり意外に大きな家だけがあったりし... 続きをみる
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カンチャナブリの安宿の南側にお寺があって、ちょうど日曜日だったのですが、その前の広場で子供たちが現地の竹と堂で出来た楽器を上手に打って奏でていました。ガムランの音のような柔らかくて心地いい調べです。 その隣では鶏も犬も人も渾然一体となって生活しています その裏はクウェイ河が悠々と流れています。メコ... 続きをみる
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なかなか手につきませんでしたが、今回のたびのブログを書きはじめたいと思います。書きたいと思ったときしか書きませんが、続けたいとは思っています。 2月10日(金)成田を立ち、タイバンコックに到着しました。これからの4月末までの旅に備え、暑さに慣らすためためと情報集めのためしばらく滞在しました。これか... 続きをみる
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マンダレーで見たことの続きです。 *ヤンゴンにて、この記事の写真はすべてすべてアップできました。 マンダレー駅は街の中心にあり、広々としていて風通しが良いので、街歩きのときに疲れるとそこに行って寝て休んでました。やはり人が行きかうところで、街の特徴を表しているところがあると思います。 ヤンゴンと比... 続きをみる
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3月16日から4月22日の予定で、バックパックを担ぎ、安宿に泊まりながら、ミャンマーを旅しています。ヤンゴンから、まず南のほうへ向かい、パゴー、モーラミャイ、ダウェー、ベイ、そして最南端のコータウに行ってきました。日本人どころか、外国人の旅行者自体が少ないところで、道路もバスターミナルもほとんど整... 続きをみる
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まだまだ、引越し中です。写真アップロードしました。 これで3度目です。2回とも書いた記事、写真が消えてしまいました。ネット接続が切れても大丈夫なように、下書き保存を繰り返しながら、進めます。 定番のバガンの寺院、パヤーめぐりの記録を載せます。旅の魅力は市場とか街角の風景とか、においを含めた出来事を... 続きをみる
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出会った興味を引いたことの続きです。 ヤンゴンからバゴーへバスで向かったときの話です。トラック、乗用車が何台も衝突すると言う大きな事故がありました。写真には取れなかったですが、4-5m離れたところにも車がひっくり返ってました。 その後、渋滞になり、片側1車線が、2車線になり、進行方向の泥の路肩にも... 続きをみる
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ブログサイトの引越し中です。写真アップできました。 ヤンゴンでの興味を引いたことを書きます。 女の子たちの修行僧の朝のお勤めです。ピンクの僧衣を着てかわいいですね。タイ、ラオスでは男の子だけでしたが、ミャンマーは女の子もいるのですね。 Immigrationで、ビザの延長にいったときの話。日本の情... 続きをみる
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ブログのサイトの引越し中です。写真をアップできました。 インレー湖の安宿の後半の日々は、インターネットは不安定で切れっぱなし、それも電気もほとんど切れた状態で、何もできませんでした。4月10日早朝4時に夜行バスでバガンの安宿に着き、バガンで1,2番のシュエジーゴンパヤーの朝焼けを見て、街中、市場を... 続きをみる
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ミャンマーの最南端への旅を終え、比較的時間ができたのと、インレー湖のインターネット接続状況が今は良さそうなので、これまでに分かったこと、感じたことを羅列します。硬軟取り混ぜ、とにかく感じたことだけを書いているので、内容的には統一性がありませんのであしからず。 1.車の走行車線の不思議 ヤンゴン空港... 続きをみる
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ミャンマー最南端の街コータウンから北のほうのインレー湖に移動
4月4日朝最南端の町コーウェイの空港からヤンゴン空港、ヤンゴンからは夜行バスでインレー湖に4月5日朝5時ごろ何とか到着しました。 コーウェイ空港の冷房の設定温度は30度でした。その風邪は冷たいぐらいでした。外がどれだけ暑いのか?! インレー湖の近くの田んぼの堀で、牛が水に浸かってました。一番右の牛... 続きをみる
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最初の目的地のタイの最南端の町でタイと国境を接するコータウンの街に着きました。良いですね、この雰囲気は。旅好きでボーダーが好きな人が多いですが、やはり良いものです。対岸のタイの町へ渡し船がいくつも出ています。 4月1日の午後7時ベイ発の夜行バスで、朝6時ごろ到着しました。ベイまでは途中の川がすべて... 続きをみる
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ブロクサイトの引越しをします。これまでの記事を移していきます。写真が消えてしまったので、日本に戻ってからアップロードしなおそうかと思っています。 定年退職して、老人バックパッカーの旅を2016年3月16日から4月22日までの予定でミャンマーを旅しています。ヤンゴン、パゴー、モーレミャイ、ベイとこれ... 続きをみる