老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

ブキッティンギにて

パラパッから夜行バスでブキティンギに移動しましたが、15時間のバスの旅はこれまでの夜行バスの旅の中で、一番快適でした。60人乗りの大型バスに20人ぐらい乗っていて、外人は僕とドイツから来た若者だけでした。ピークシーズンは6月かららしいけれども、外人旅行者はとてもより少ないです。パラパッのフェリーターミナルから出る乗合タクシーは、300,000ルピア(2,350円)ですがこれまでの経験から言って押し込められて乗せられるし運転手の言っていることもよく分からないので(英語が通じない)、このところ風邪で休養のため殆ど寝ていたのですが、バスターミナルまで行って確認してみると、240,000リンギッド(1,880円)で大型バスとのことで、これに決めました。例によって、バスの中は冷房ががんがん効いていると思ったので、長袖長ズボンも用意していましたが、大正解でした(私としては異例ですが、歳と風邪には勝てません)。それを持っていなければ、寒かったし、今頃まだ、風邪で寝こんでいたでしょう。大成功です。
これがブキティンギまで乗ったバスです。

途中の朝食休憩のときの周りの風景です。広くていい家でした。

休憩所の前の田んぼですが、植えてすこし経った感じでしたが、暫く行くと稲穂がたわわに実っていました。3期作の国なんですね。


ところがブキティンギのバスターミナルに着いてから、酷い目に合いました。タクシーの運転手に捕まってしまい、バスは無いから乗れとしつこいのなんのって。。。それで、4,000ルピア(31円)で行くなら乗ると言うと、イェスイェスと言って、念に念をを押して乗ると、平気で10倍の40,000リンギット(310円ですが。。。)と言うので、降りて通りでミニバスを探すため、方向を聞くと右側だと言います。これからがまた大変でした。運転手が嘘を言っていると可能性も高いため、確認のためバスターミナルに戻りそこにいるおじさんに効いてみると、地図を指して、左側だと言います。それで、左側のミニバスを思われる車に声をかけると、反対だと言われました。結局タクシーの運転手が言うことが、正しかったのですね。それにしても、平気ですぐばれる嘘をつく人もいるのですね。。。。金がほしいために嘘をつくタクシーの運転手は良しとして、こんなおじさんはしょうがないですが。。。でも、やっぱり、いい事はあるもので、ミニバスの中でおばさんに地図を見せて、場所を聞くと(英語は通じませんが、以心伝心です)ミニバスの運転手に話をしてくれて、ある所で止まってくれました。ホテルはどこかと効くと、何とすぐその前でした!そういうこともあるのですね。ホテルのホテルの名前が良くてAsia Hotelと言いますが、昔はかなりいいホテルでしたが、古くなってメンテもしていないので、客が来なくなった感じのホテルでした。ホテルでの朝食と、その前のロビーです。広々としてシャンデリアがあります。

これがホテル2階のロビーからの眺めです。良いですね。その右側のところでミニバスが止まりました。


実は更にバスで一緒だったドイツの若者とはのバスターミナルで会った時に話をしたのですが、ドイツのバルト海に面していてデンマークに近いところだそうですが、何とパスマトラ島の西の端のバダンアチェまで行ったとのことで写真も見せてくれました。数年前の津波の影響がまだ残っており、またイスラム国ISへ戦士を多く送っているところだから危ないと思わなかったかと聞くと、全然平気との事でした。私が実は今年はイスタンブールからギリシャ、イタリア、フランス南部からポルトガルに行きたかったが、難民問題もあり、危険なので行かなかったと言うと、全然平気で、旧ソ連のアルメニアは建物、風景がきれいで、物価が安く、観光客も少ないのでお勧めだと言っていました。彼はイスタンブールに1年留学したことがあり、とても良いところだと勧めていました。来年は東ヨーロッパからギリシャ、イタリアへ行こうかなと取らぬ狸の算段をしてしまいました。


ホテルで(やはり英語が通じない)、市内観光を頼むとガイドを読んでくれて、オフシーズンで団体ツアーは無く、バイクで300,000ルピアですが、バイクはいやだと言うと車で750,000ルピアと言うので、どうしようかと思っていたのですが、土曜日には牛レースもあるとのことで、土曜日に行くことにして泊まるホテルはクレジットカードが効かず現地通貨の原因不足のため、ガイドの働いているゲストハウスへ行くと、ブキティンギへ行く乗り合いタクシーで一緒になって、帰りの乗り合いタクシーでも一緒になって、シマニンドの伝統舞踊のところでも会った、(腐れ縁の)カナダ人のおじいさんがいて、彼も行くというので、二人でシェアして一人450,000リンギッド(3,500円)。高いと言うと、このカナダおじいさんが普段行かない遠くのところまで行きたいとのことで、OKしました。それで普通朝9時のところ朝7:30発の一日コースとなりました。


ところでカナダのおじいさんですが、ニヒルな感じで会ってもあまり話はしなかったのですが、一緒の車で行くことになり話してみると、人は見かけによらず、皮肉っぽいですが、笑うと本当に人の良さそうな顔になります。驚いたのは無宗教だと言われたことでした。今まで欧米人でそんなことを言う人に会ったことが無いと言うか、日本人が無宗教だと言うと驚く人ばかりだったので、今度はこちらが驚きました。12歳のときから教会に行かなくなったそうです(話が途切れて理由までは聞けませんでしたが)。今までの人生色々なことが有ったんだなあと感じさせる人でした。トロントに住んでいて、冬はマイナス30度になるので、冬を含む6ヶ月は南半球を旅しているとの事でした。


近くの村の風景で、田んぼ、村の中を案内してくれました。


なぜか手作りチップ、せんべい工場を案内してくれました。そういえばミャンマーでもモーリャマイの近くの島に行ったときに結婚式だけではなく、いくつかの工場も連れて行かれましたが、流行でしょうか。当然ですが、全て手作りです。

タロイモを薄く切ってそのまま油のにたぎった大なべに入れてチップにしていました。


ミナンカバウ文化の伝統的な家を訪れましたが、人が住んでいた洗濯物が干していました(?!)

周りの壁のカービングです。漫画チックですね。

逆になりましたが、これがそのうちの外見です。

この村には、伝統家屋が保護されていると言うよりはそのまま住んでいて、改築してきれいになったものもあるし、朽ちてしまった家屋もありました。国として文化財保護までは金が行かないみたいです。


村のおばさんが唐辛子などを石の器に載せてすりこ木棒見たいのも野で引いていました。インドネシアの何処でも見られるものでした。


やはり不思議な途中の田んぼの風景で、田植えが終わったばかりの田んぼと思えば、すぐ近くで稲穂がたわわに実り、その側で稲刈りを終えて脱穀(籾殻取り)をしていました。



次はいよいよお楽しみのCow racingですが、牛の競争と言うよりは牛2頭の後ろからそれぞれ簡易なそりもどきが出ていて人がそのそりに乗って、牛がちゃんとシンクロして走るようにコントロールすることで、転ぶことなく、最後まで乗り切ると言うものでした。毎週土曜日開催らしいですが、出店が出て現地の観光客(マレーシアから来ている人もいるとか)でいっぱいで、すごくにぎやかでした。外人は、こちらの二人のおじいさんと、後は白人のカップル二組だけのようでした。

田んぼの中での牛レースですが泥が飛んできて大変でした。人の後ろから両手を挙げて携帯のカメラをメクラ滅法に押して撮ったのですが、なかなか良いのが撮れたと自負(!?)しております。と言うか思ったよりもはるかに良いのが撮れて、自分でも驚いています。


最後の王宮により、近くには王妃の館も作ったそうです。


近くにビアバーがあったので、寄ってみると原始的生活をしている原住民がいるというシベル島出身の人で、今はシベル島へのガイドをしていると言う人が話しかけてきて、色々島のビデオ、写真などを見せてくらました。体中にタトゥーをする習慣があるのだと言って見せてくれました。実はシベル島に行こうかと思ったのですが、3-5日のツアーしかないと言うことで時間的に無理で断念していましたので、奇妙な縁でした。


宿の近くにあるキナンタン公園のコック要塞にはオランダ時代の大砲がぽつんとおいてありました。


キナンタン公園からのシンガラン山がすこし見えるガイドブックで定番の写真を載せてしまいますが、何故載せたかというと、この黄色い建物が仏教寺院に見えその先に緑色のモズリムのパゴダが見えるので宗教の融合をあらわしていると思ったのですが、後で行ってみると寺院ではなく、行事などを行う単なるホールでした。もちろん中華系でしたが。

上の写真を撮った道路をまたがる建物です。


街の中心となる時計塔の前の広場で撮ってもらいました。夕方ここでゆっくりしていると、二人連れの女の子と男の子が何組かいて、お互いに知り合いではないようで、見ているとナンパと言うかどちらかと言うと女の子の方が強くて選択権がありそうで、男の子が引っ張られていくと言う光景を目にしました。何組も出来ていました。不思議でした。


パダン料理の発祥の地はブキティンギだとの事で公園沿いにある有名なインパンラヤでお試ししました。何でブキティンギ料理と言わないのだろう。これも不思議です。

これが出てきた料理です。一人前だから少ないのでしょうか。


公園に来る前に電気屋さんがあり、開くのを待って並んでいました。流行の電気屋さんで良いですね。ケーブル、電球などを売っていました。


(続く)

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