老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

ホーチミンシティ周りにて

ホーチミンシティではバックパッカーの安宿が集まるファングーラオ通りに面している路地から入ったところにありました。地元の人も生活しており、こんな路地でバイクは通るはで、気をつけなければいけません。ホーチミンは広い通りだけでなく、路地でもバイクだらけです。


その狭い路地に店を広げています。生活の匂いに満ちていましたが、バックパッカーもいっぱい居ました。


ファングーラオ通りに面した公園の中にステージのあるレストランパブみたいなものがありました。すばらしい(?!)名前の店でした。「人生は一度きり」。入り口のところに書いていましたが、"If you love me, tell me"、何と言えばいいのでしょうか、含み笑いになってしまいますが、「愛しているならそう言って頂戴」とは何という自信なのでしょう?!


街中を歩いていると、公園で家族、仲間同士で遊んでいたり、スポーツをしていたるするのをよく見かけました。これまで居たカンボジャとの違いを感じます、やはり裕福になってきているのでしょう。公園では、親子で砂場みたいなところで、滑り台などで遊んでいました。


タイ、カンボジャで見かけましたが、トイレに住んで、掃除をしたり、金を取ったりする人が居ましたが、ここではなんとトイレの入り口にATMの現金引出機がありました。


ベンタン市場のバスターミナルから出ているバスで、チョロンの中国人街に行ってきました。5,000ドン(約30円)で30分ぐらいでした。バスの中から見た道路です。相変わらずバイクだらけでした。帰りもこのバスに乗ったのですが、ホーンをしょっちゅう鳴らしていました。


クチトンネル観光に行ってきました。ベトナム戦争の時にベトコンの活動のために掘られたトンネルで、何と全長380kmも有るそうです。人が通れるだけの小さなトンネルですが、縦横無尽に広がっています。アメリカ軍から見たら、神出鬼没のベトコンと写ったでしょうね。地の利を生かしたベトコン側の勝利です。また、これだけ長く戦争をすると普通は食料難になるのですが、ベトコンは米軍の目を盗んでは田植えをし、野菜を栽培していたので、食料は十分だったそうです。もちろん水もです。アメリカは当時のどんな新鋭機、B52による爆弾投下、枯葉剤の散布をしても勝てませんでした。カンボジャのポルポトによる大量虐殺の博物館もそうですが、余りいい気持ちはしないものですね。この穴から入りました。

出口での間の抜けた顔です。穴が狭くて出てくるまで大変で、その後、ひざが笑いっぱなしでまた大変でした。


夜行列車でホーチミンシティからダナンに着きました。3月15日PM7:30に出
て、16日PM12:46に時間通りに着きました(でも17時間強かかりました、4
67,000ドン 約2,500円)。ベトナムはこれまでの2カ国と違いますね、勤
勉さを感じます。やさしい面と商売に長けている面の両面を併せ持っているような気が
します。列車は快適でした。1車両に2名の担当(若い男です)が居て、連絡事項を伝
え、頻繁に巡回し、掃除をし、弁当、お菓子、飲み物の販売も一手に引き受けて、きび
きびと処理していました。セキュリティ面でも何の問題もありませんでした。係員が車内販売をしています。

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