老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

2018年の旅の始まり

3月1日に日本を発ってタイのバンコック入りしてからはや14日も経ってしまいました。


4、5月から翌年の1,2月までの期間を契約アルバイトで働きその合間に旅をする形が定着したのか(?!)、今回は自我精神の開放を十二分に感じ、バンコックで旅を始めてから、自由を満喫していたため(しすぎて?)に、旅の記録を書くことまで気持ちが向きませんでした。


昔寅さんの映画にありましたが、寅さんが分かれ道に来たときに人差し指を舐めて風が吹いているほうへ向かったのが、その頃仕事をしなければいけなくてどうしようもなかった身には、強烈な印象を与えると同時に、いつかそのような旅をするぞと思い、今それができることが楽しくて楽しくて仕方ありません。出会いのために何処でも歩き回っていますが、一日平均2.5万歩で、3万歩が一回ありました。


バンコックからパタヤーへ行き、その後マレー半島の南下を始め、フアヒン、チュムポーンを経て、今スーラーターニーという街にいます。明日、マレーシア国境の町であるハートヤイへミニバスで向かい、その後ある事情でマレーシアへ入国しペナンに行く予定にしました。「ある事情」とは、実は初めの頃はマレーシアの東海岸をゆっくり行ってシンガポールに入り、それからインドネシアと思っていたのですが、買ってあった(読んでなかった?!)「地球の歩き方」をみてみると、まずスマトラ島に行きそれからジャワ島に行ったほうがいいみたいであり、またスマトラ島のメダンへはペナンからLCCが飛んでいることが分かったので、そこに行くことにしました。まだ、詳細、未定ですが。。。


まずは、順不同でスーラーターニーでの出会いの写真から載せたいと思います。
宿の新聞(タイ語しかない)を見てみると、国際欄だと思いますが、珍しく日本の記事、安部首相夫妻の写真が見えました。タイ語は読めませんが、阿部首相夫人が関わった森友学園問題の記事でしょうか。阿部首相夫人もタイのローカル新聞に載るなんて国際的になったものです?!


今日の朝飯はローカルカフェ(?)で揚げドーナッツの一口版とあまーいコーヒーにしました。バンコックから仕事で来たと言う人と同席になり、英語が出来少し話をしていると一緒に注文してくれて、30(90円)-40バーツ(120円)ぐらいだと思いますが金まで払っていってくれました。親切な人が多いですね。


店の前でご主人がメリケン粉をこねたものを切り分けて一口大にして、そばの油のにたぎっている大鍋に放り込み、それをもう一人のおじさんが長めの箸で取っています。ちなみに燃料は木炭です。


街はタピー川の東側にあり、そこからは有名なサムイ島向けのナイトボートなども出航していますが、漁港でもあるみたいです。川では、小船で蟹用の籠を一定距離置いて仕掛けていました。


すると、その川で誰もいない船を発見しました。

しばらく見ていると、近くの水面でぶくぶくと言う音が聞こえます。

あっ、人間みたいです。

漁師さんが潜って魚かなんかを取っていたみたいです。川はきれいですよ。ただ、木とか竹などの切れ端が浮かんでいますが。


川の向こう側は余り開発されていないみたいですが、近くの橋を渡って行ってみました。
建物の建築工事が行われており、皆で生コンを流し込んでいました。しかしこれでちゃんと建物が出来るのでしょうか?


道路側の看板に完成後の写真がありました。近くでも同じような建物がありましたが、ちゃんと建ってましたよ。今の日本の企業は時代の流れから見ると過剰管理、過剰品質なのかもしれません。これぐらいでいいのですよ。(神鋼などはまた別の管理のだらしなさの問題ですよ)


話は替わりますが、今の日本の企業のトップは団塊の世代の後の方で、何にもしなくてもいけいけどんどんの好景気で仲間内での泳ぎ上手がトップになっているんで、今の変わるべきときに能が無いのをさらけ出しているのはみっともないですね。大体、政府から賃上げしろなんて言われるなんて、みっともない。昔の経団連の土光さんたちだったら、政治ごときが経済に口を出すんじゃない!、と一喝していたでしょうね。改革にお金を使うべきところをたんす預金にする脳の無さは何でしょうね、辞めようと思わないのでしょうか。社有車と社長室がほしいから?

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