老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

ネパール カトマンドゥにて

14日の夜カトマンドゥに着きましたが、一言、カトマンドゥはカオス(混沌)の世界ですね。これまで居た昆明が碁盤目状に計画だてられた道路、建物とすれば、ここカトマンズ
は、無計画の曲がりくねった道、凸凹道、ほこりだらけ、建物は古く、3年前の地震で
倒れたままのが多く、人がひしめいていてます。もう、驚きの世界です。1960年代に目
標を失った若者たち、ヒッピーが流れ込んできたのは、このカオスを求めてきたのでしょう。カオスの中に真実を、神を求めたのでしょう。精神世界ですか。イヤー、なんともいえない世界です。


安宿からダンバール広場に行く途中の道です。ここだけでなく、ほとんど全ての道が凸凹で、また水不足を解消するための工事がいたるところで行われており、穴が開いていたり、土が盛り上げられていたりで、とても歩きにくかったです。14日の夜に雨が降った関係もあり、殆どの道が泥道と化していて、靴やズボンは泥だらけになりました。天気が良くなると今度は土ぼこりと排気ガスの世界になります。マスクをしていないといけなかったですね、のどがやられてしまい、更にかすれ声になってしまいました。でも、写真でみるとそのカオスが余り分からなくなってしまいますね。


いつも気になるのですが、古い家に這い蹲るように巻いてある電話線が見えます。いつもながら、混線しないか心配です。


街角の物売り屋のおばさんたちです。アジア共通ですね。


得意の路地に入ってみました。右側の下辺りに入り口がありますが、その中は中庭になっていて意外と広く、それに面して、それぞれの家があるみたいです。そこからバイクが飛び出してくるので、要注意です。


ネパールのヒンドゥ教はインドと異なり、かなり仏教色の強いというかヒンドゥ教と仏教が融合したものに見受けられ、建物も仏像も仏教色が強いです。それもチベット仏教の影響が強いように感じられ、チベット仏教のストゥーパも、ここではヒンドゥ教のお寺の中にあります。


ダンバール広場の近くの祠(写真の左半分下側)です。ヒンドゥの神様が祭られていて、お参りをしていきます。街角のあちこちにあります。


ダンバール広場にあるカーラ・バイラブの石像です。シヴァ神の化身にひとつで怒りの神だそうで、この神様の前でうそをつくと、死んでしまうのだそうです。怖いですね。なんとなくユーモラスで、でも刀を振り回し、生首をぶら下げていて怖いんだぞと言っています。


そんなカオスの中でも人々はたくましく生きています。なんというのかわかりませんが、さいころを振り、その数によって、左と右の陣地で、白と黒のこまを動かしていました。写真を撮っていいかと聞くと、一緒にやらないかといわれました。人がいいですね。


床屋さんです。ここでも手招きされました。3月7日にカンボジャのプノンペンで髪を切って以来だからそろそろ髪を切ろうかな。

洗濯場です。昔々、インドのビジネスに携わっているときに洗濯業者の洗い場を見たことがありこの何倍も広く、たくさんの人が洗濯していました。ここは、近所のおばさんたちの洗濯場みたいで、所々で見ました。


ネパールの代表的な料理ダルバートのセットメニューを食べました。350円ぐらいです。ヤギを煮たものと辛目のスープというかたれが付き、ご飯を手前の野菜や漬物とごちゃ混ぜにして、スープをかけて食べます。こちらの人は殆どの人が手で食べます。実はヤギはくさいからと遠慮したら、日本のヤギや羊もくさいけど、ネパール式の方法で料理すると臭くないといわれ、恐る恐る食べましたが、全然臭く無く、美味しかったです。全体的に余り辛くも無く(辛いものもありますが)、皿の真ん中左側は見てのとおり大根を干して漬けたものつまり沢庵そのもので、その右は青菜のおひたしでした。お変わり自由というか、ご飯もスープも漬物も継ぎ足しに来ます。すごい量ですよ。


安宿の近くの食堂で食べた焼きそばです。210円ぐらいで、すごいボリュームでした。味は、辛くも無く焼きそばそのもので、ソースをかけるともっとうまかったかも。


郊外に行く途中に結婚式の行列を見ました。ガイドさんによると、最初の日はだんなさんになる人の親族が嫁さんになる人のうちに嫁さんを迎えに行き、次の日は逆に嫁さんになる親族の人がだんなさんになる人の家に行き、宴会をやるそうです。


郊外のパシュパティナート寺院です。ここでは、人生を感じてしまいました。個人的には退職をして、60歳を過ぎたあたりで、「自分は死ぬんだ」という実感がわいてきました。特に、怖いとか何とかではなく、死というのが身近になりました。若いときからこれまでも、死に関しては考えましたし、それに関する本やメディアに接していましたが、それが観念的なものだったことが分かりました。若いときは死は実感の無い、観念的な理論(?)を振り回していただけだと分かりました。今回の旅を通じて感じたのは、人間が造った宗教(キリスト教、仏教、回教、その他色々)ではなくて、この世界(Universe)を造りたもうた神というか創造主(The Creator)の存在を感じることがありました。


写真の真ん中のお寺で遺体の禊を行い、その前の川岸で親族全員でお別れをするそうです。見えずらいですが、写真の真ん中下あたりの人の輪の真ん中に遺体が横たわっています。

それが済むと、その左側にある火葬場に持ち込まれ、30時間燃やし続けるのだそうです。その後は川に流すそうですが、今は川の水が少ないので、灰の一部を流し残りはこの写真の左側にあるコンクリで出来た四角形の灰置き場に入れるのだそうです。

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