老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

ハートヤイにて(伝説の安宿キャセイゲストハウス)

国境の町ハートヤイでは、伝説(日本人にとって)の安宿であるキャセイゲストハウスに泊まりました。それはもう古いと言うかぼろいと言うか、すごいですが、ただ部屋は広くて人が集まるための食堂がありました。1960年代以降世界の流れとして若者たちが放浪の旅を始め、日本人の若者たちがアジアの旅に出始めて、旅を進める中での途中の宿がアジア各地にありますが、そのひとつがこのキャセイゲストハウスみたいです。(私の好きな沢木耕太郎の世界ですね)


何がすごいかと言うと「日本語情報ノート」がまだ延々と続いていることです。現在、No.4で、No.1、2は見当たらなかったのですが、No.3は15-20年以上前ですので、だいぶ長い年月続いています。ざっと目を通したところ、内容は書く人それぞれさまざまで、多士済々で人生論もあれば、旅で出会ったこと、特に多かったのはアジア各国各地の情報でした。


更に驚いたのは、日本人の方に声かけられましたが、それがまた「昇竜」と漢字で書かれたずたぶくろをかぶったような服をきたすごい風貌の方でした。75歳でもう10年もマレーシアのKLに住まれ、僧侶の資格を取って、2-3ヶ月に1回、バンコック、チェンマイ、チェンライ、スコータイなどのタイ各地のお寺を巡り、そこでお寺の掃除をし、それらのお坊さんたちと話をして、食事、宿泊場所の提供を受けているのだそうです。何故お寺巡りを始めたかと言うと、7年前の東北の大震災でもう離婚してしまっていたらしいですが、家族全員が海に流されて、いまだに見つかっていないのだそうです。それ以来、供養のためにお寺めぐりを始めたとこことでした。僧侶の資格証と名詞の裏面をお見せします。表面に写真付きの資格証がありますが、下記事情により掲載出来ず残念です。


本人の話によると、過去に色々と事情があるので、写真、名前の掲載は避けてくれと言われましたので、一緒に写真もとったのですが、お見せできずに残念です。悟りきったと言うか、何か吹っ切れて信念を持って人生を生きているようないい顔をしていました。


下記が、彼が情報ノートに書きつけたページの一部ですが(もちろん匿名でDragon Merchant)、「人生長くても短くても死が訪れるが、生きている間はしっかり生きていくしかない」みたいな意味のことが書かれていると理解しました。2-3ヶ月に1回、来るたびに情報ノートに書いているみたいです。殆どが人生論でした。


更にすごいのは、ここのトイレが旧式の水洗トイレ(?!)であることです。バケツの水をピンクの手桶ですくい、左手で洗うものです。バッチいですが、久しぶりで最初は大変でしたが、何とか慣れるものです。少し文化論(?!)になりますが、こちらの人は左手を不浄の手と言って、忌み嫌います。左手で食べる、左手で握手するなんていうのが言語道断だと言うことが、これを経験すると本当に身にしみて良く分かります。


ちなみに後ほどお見せするショッピングモールのトイレで、今はこの新式(?!)の水洗トイレが普通です。TOTOを普及させなければいけませんが、アジアではこの安くて便利なものが一般的になってきているみたいです。もちろん高級店はTOTOです。


またまたすごいことをやってしまいました。ハートヤイにはフカヒレとツバメの巣で有名な店が、安宿から5分ぐらいのところの一番にぎやかなナイトマーケットにあって、毎日夕飯を買うために通ってましたが、倹約家の私としては珍しく、これは名物を食わねばならぬと変な気を起こしてしまいまして、それでもフカヒレは高すぎるので、珍しいツバメの巣を食おうと、一番高い1,000バーツはきついのでその次の500バーツ(1,500円もする、8食分ぐらいの食事代)を奮発して食べました。味は甘くて、甘い味付けのぎんなん、甘なっとう、甘い味付けのオリーブを入れて食べるようになっており主食と言うよりはデザートと言う感じでした。ありがたくいただきました。


ちなみにこの店のトイレには、言わなくてもわかることが書いてありました(?!)。

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