老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

ブキッラワンにて(元山岳民族との遭遇)

ツアーバスと言っていましたが、実際は乗合タクシーで4人相乗りで乗ってきました。ヨーロッパからの老人夫婦とカナダからのおじいさんと日本からのおじいさん(僕のこと)でした。途中の道は舗装されていない道も多く、舗装されていても片側1車線なので、追い越し合戦が激しかったです。僕たちの乗ったタクシーもしょっちゅう追越していました。でも、ひどかったのは相手車線の車の先頭に遅いのがいて延々と後ろにつながっていて、そこを走っていると、対向車の大型トラックがすごいスピードで向かってきます。慌てて、タクシーは車線外へ出て、衝突回避しましたが、間一髪でした。現役時代インドのニューデリーからUP州に行くときに飛行機が取れなくて、時間の都合で無理して車で行ったのですが、もうすごかったです。対向車が猛スピードで走ってきて間一髪でどちらかが避けるのです。それの連続で、もう生きている心地がしなかったですが、それを思い出してしまいました。


ヨーロッパからの夫婦と話をしていて、ペナンからメダンに入国するときにイミグレで酷い目にあったと言うと、その夫婦もまた帰りの切符が無いと言うと、同様に裏の部屋へ連れて行かれたそうです。違うのは、この夫婦は「First and last]と言われて、帰りのキップを買わずにイミグレを通ったとのことです。この違いは何でしょうか?!


安宿は5,000ルピア(390円しない)で、木造で古くて歩くと床がきしみますが、川のすぐ側でなかなか良いです(シャワーは共同)。

途中のつり橋からの村の風景で真ん中ぐらいが泊まるっている安宿辺りです。



川から水を引いている洗濯場がありました。きれいになりますよね。


宿の庭が広くその前にはきれいな川(世界自然遺産の公園ですから)が流れ、岸辺には屋根つきでソファ、テープルなどが置かれていて、そこでゆっくり休むことが出来ます。真ん中に若者がポーズを取っていますが、何処でもかなりの頻度で掃除をしていました。


川では魚釣りをしていました。見ている間に2匹ぐらい釣っていましたから、結構釣れるものですね。


対岸で新しい家を建てていました。

そのために使う材料をゴムボートで対岸から運び、凸凹した川岸を台車で運んでいました。


向こう岸が、もう世界自然遺産のグヌンレウセル国立公園が始まっているところであり、そこにはオランウータンが来ていました(しょっちゅうではないらしいですが)。オランウータンはかなり人馴れしていて人間に近づいていって餌をねだっていました。その後サルの集団が来ていて、水浴びしたりしていました(いつもの事だそうです)。この安宿の庭にも朝サルが着ていて、僕の部屋の前のオープンスペースのテーブルで前の部屋の客の残した食べ物を漁っていました。最初は逃げたのですが、私が追っ払ったりせずに何もしないでいると、また近づいてきて餌漁りです。

終わったら、一休みしてから、一瞥して悠々と去っていきました。


メダンから移動してきて午後3時ごろ着いたのですが、村を一回りしてから、少し上流のほうで(宿の前は急流なので)泳ぎ、夜は川岸の御休みどころで、ビールを飲みながらブログ(メダンの)を書いていました。空気が良くて、思った以上にいい所です。


二日目にOne dayのジャングルトレッキングに行くことにしました。まずジャングルを歩いて入って、帰りはゴムボートラフティングでを戻るコースを選びました(one dayコースで40ユーロ、帰りをラフティングにするとプラス10ユーロ、合計50ユーロ(936,000ルピア、7,800円高いですがこのために来たので欠かせません)。


この行きのジャングルトレッキングがすごかったです。入り口でのご一行様の写真です。イングランドから来た女性二人と一緒でした。


急な坂ばかりで、登ったり下ったりの連続でした。こんな上り坂と言うよりは崖の連続です。

おまけに前日は夜大雨が降ったので、ぬかるんでおり、滑って大変で、泥だらけになりました。その上、途中で人馴れしたオランウータンが通せんぼをしていて、ガイドが餌をあげている隙を縫って違う道を通り、無事脱出できました。イヤーこんなに疲れるものとは思いませんでした。


ジャングルの真ん中の小川を渡りました。


オランウータンはよく見かけました。




珍しそうなしろぽいサルがいました


そのサルとの一緒に撮ったつもりの写真です。見づらいですが、向かって私の頭の少し右上に白と黒のサルがいます。


帰りはラバーラフティングで急流を下ったりして面白かったです。宿の近くで降りて、暫くそこでまた泳いでいました。その後、川岸の休息所にいてこのメールを書いていますが、前日も夕方から大雨でしたが、今日も午後7時ごろから大雨です。(ラバーラフティングでは水を浴びるので、カメラを含む荷物は全てビニール袋に入れられました)


3日目の朝、村めぐりをしたのですが、すごい人に会いました。まずは、朝食の話から。昼食用なのかたくさんの弁当を作っている食堂で、チキンと野菜(小魚入り)と何かの見のスープ付けで、15,000ルピア(125円)でした。水が1.5Lで6,000ルピア(50円)。


村の入り口に有った石で出来たシンボルです。原始宗教の名残かも知れません。名前を聞いたのですが、メモを取らなかったので、失念しました。


広場では子供たちが母親と一緒に凧揚げをしていました。あちこちで揚がっていました。


そこから山のほうへ向かい初日にツアバスが着いたところを更に登っていくと、壮健な体をしたおじさんに声をかけられました。話していると家の中へ招いてくれましたが、その人は何と山岳民族の末裔で、動物の骨(サル類、蛇など)を使って色々造っていました。動物の骨で作った装飾品をまとってくれました。

若いころはこれを商売にしていたみたいで、名刺もあり、それにJpul Snakeと書いてあり、e-mail addressも有りました。昔は殺し合いをしていたが、今は戦わなくて良いので、良いことだといっていました。でもやはり鋭い目をしていますね。



これも動物の骨で作った弓矢です。


動物の骨はストックで持っていて、今でも造っているそうです。

薬草も集めていて、病気のときはそれを飲んでいるから、健康だといっていました。

ちょうどお昼時で、この家ではお母さんが料理をしていました。

二人の子供がいて、家の前で、朝食をあげていました。左端の真ん中辺りに見えます。


村の青年たちが集まっていました。残念ながら英語が出来ないので、話は出来ませんでした。陽気で元気が良く、写真を撮っていいかというと集まってきてポーズをとられてしまいました。


金曜日の午後でモズリムのお祈りの時間ですが、その前を通っていると声をかけられました。何年か東京の代々木に居たそうです。もう20年前の話とのことですが、日本語はうまかったです。左端の方です。いつものことですが、すぐ食べ物を勧めてくれます。


週末でメダンなどの街から泳ぎに来ている家族連れ等が大勢いました。


キャンプにも来ていました。


一度宿ではなくお店兼食堂でビールを飲んでいると、英語が出来る方が出てきて色々話が出来ました。気になっているのは、モズリムなのに金曜日の午後お祈りに行かない人がいるし、女性でスカーフ(?)をかぶっていない人がいるので、モズリムか聞いてみると、一応モズリムだが、昔からの宗教もあるし、アチェ見たいに狂信的ではなく、宗教で殺しあうことは無い、flexibleで有ると言っていました。良いですね、同感です。日本人もflexibleであると伝えました。

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