老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

ミャンマーに来てはじめて分かったこと

ミャンマーの最南端への旅を終え、比較的時間ができたのと、インレー湖のインターネット接続状況が今は良さそうなので、これまでに分かったこと、感じたことを羅列します。硬軟取り混ぜ、とにかく感じたことだけを書いているので、内容的には統一性がありませんのであしからず。

1.車の走行車線の不思議
ヤンゴン空港から市内に向かう車の中で気づいたのですが、ほとんどの車の運転座席は右側(日本と同じ)なのに走行車線は右側(アメリカと同じ)なので、安宿のスタッフ(英語もろくに通じませんが)とか近くの日本料理店の新橋横町のマスターに聞いても「さあ不思議ですね」と言うだけで分からなかったのですが、バゴーのホテルオーナーによると、イギリスの植民地だったので元は左側走行だったのを、軍事政権が1962年にできたときに、これまでの仕組みをすべて変えるということで、車線も変更したそうです(?!)バスを道路の右側に止め、センターライン側から出入りするのですから危険ですよ。対向車は来るし、クラクションを鳴らして追越するし。。。新橋横町にある本によるとミャンマーの95%は日本車だそうで、自動車メーカーは期待しているでしょうね。

2.ヤンゴンの中心のスーれーパヤーの隣の公園にて(マハバンドウーラ公園)
町歩きの際にちょうど待ちの中心にあるので、よく休んでいましたが、昼間からアベックが傘を立てて座ったり寝そべっていたりしていちゃいちゃしているのを見ました。ましてや夕方となるの傘また傘ですよ。他のアジアの国では見られないことでまさか敬虔な仏教国のミャンマーがそうだとは思いもしませんでした。若者はおしゃれで、美容院、床屋が多く、混んでますね。男の子は髪は立てるは,染めるはで、Koreanスタイルがはやっているのでしょうか。これも来てみないと分からないですね。ミャンマーのイメージの中には無かったです。

3.人、文化、宗教は海を越えてやってくることを実感
当たり前のことですが、ミャンマーの最南端を目指して旅しているときに、海からやってくるのだなと実感しました。地図を見ると分かりますが、南側は細長く海に沿って街ができています。特にモーレミャイは大きな川(タンルウィン川)のほとりで昔から港湾都市として栄えた街らしいですが、中華系(仏教)、インド系(ヒンドウ)、中近東系(モズリム)がそれぞれの寺院を中心としたエリアに住み、それもお互いに仲良く暮らしていました。お互いに遠い国からきて、それぞれの宗教を尊重しあって生きているのを見ました。ちょうどヒンドウのお祭りをやっていて、トラックを飾り付け大音響でその後ろを着飾った人々が踊りながら行きました(スマホが電池切れで撮影出来ず残念)。安宿の69歳のオーナーは私たちは仲良く住んでいるといっていたし、ローカル飲み屋で会った英語の少し分かる人もそう言ってましたね。でもみんなお互いに気を使いながら生きていて、何かあると一触即発の可能性もあり、大変だろうなとも思いましたが、このローカル地方では伝統的にそうなることは無いのかなとも思いました。複雑です。宗教は人間が作ったものなので、不完全で宗教のために殺しあうのですから、大変なものですが、お互いに知恵を使って気遣って生きている限りは平和に暮らせるのでしょうね。


とりあえずこれだけで、ネット環境が良ければ、次は写真付で遭遇した不思議なことを書きましょうか。

×

非ログインユーザーとして返信する