老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

インドネシア メダンへ

ペナンからインドネシアのメダンに入りそこで入国手続きをしたのですが、大変な目に会いました。イミグレで裏の取調べ室に連れて行かれたのです。現役時代にロサンジェルスでオウム真理教の麻原しょうこうの右肩の人がいて(今アフレとか何とか言う新しいカルト宗教集団を興しているみたいですが)、その人に間違えられた時以来2度目です(あの時アメリカからカナダに逃亡するという情報があった)。
イミグレで帰りの切符を持っているか聞かれ、持って無いと言うと、裏に連れて行かれ
ました。インドネシア入国時に帰りの航空券を持っているようにとの情報は聞いたことが無いといっても、無視です(タイは帰りの航空券を持っ行くようにと書いてましたが、イミグレで要求されたことはありません)。30日で戻るかと聞かれたので、もちろん30日以内にインドネシアを出ると言い、大まかな予定を話しましたが、何を言ってもとにかく、キップを買えでした。ネットでキップを買いますといっても、キップを買え、何を言ってもキップを買えと言って、途中で怒鳴ります(キップを買うと言っているのにですよ。。。)。もしかしたら(今思うとその通りだと思っていますが)、賄賂を要求しているのではないかと思いましたが、同じような問答が暫く続き、諦めたのか、イミグレの中にあるAirAsiaの事務所に連れて行かれました。それはいいのですが、4月24日のジャカルターシンガポール便が安そうなのでそれを買おうとしたのしたら、僕のPCのワイファイがつながらず(違う国にいくと時々ある)、AirAsiaのPCを使ってやったら、今度はクレジットカード決済が認証されず、困り果てました。幸いなことに事務所の太っちょの人は気がいい人で色々と手助けしてくれ、自分の携帯でやろうとして駄目だと、その人の携帯を使わせてくれましたが、やっぱり認証が通りません。最後の手段として、プロモーションはインターネットだけであり、普通にAirAsiaの端末で処理すると高くなりますが(600,000ルビアが990,000ルピア(8千円強)になってしまう)、その方法でキップを買い、ATMでルピアをおろして現金で払うことにしました。そうしたら、最後の最後にAirasiaの人が、別の予約サイトでやってみたらどうかと言って、自分でやってくれました。そうすると、何と何と600,000ルピアで、クレジット決済も通りました。しかし、この間約3時間、もう疲労困憊です。空港からバス(15,00ルピアぐらい)で行こうと思っていたのですが(そのほうがだいぶ安い)、もう暗くなるし気もめいっていたので、最新式の空港から中央駅までの電車で行きました(100,000ルピア、830円)。すばらしい最新の電車でした。京成線のスカイライナーなんて遅れていますね。
空港は最新のすばらしい空港で、電車乗場まで直接つながっています。


中央駅についてみると、すばらしい近代的な駅で、駅からは高層ビルのキンキラキンのイルミネーションが見えます。


ただすばらしいのは空港からの中央駅だけで、駅の外へ出てみるといつものアジアの喧騒が渦巻いたところでした。そこにはタクシー、ペチャマシーン(バイクの横に荷台をつけたもの)が待っていて、いつもの勧誘合戦です。最初は歩いていこうと思っていたのですが(いつもならそうしている)、暗くなっているのと、弱気の虫に苛まれて、車で行くことで妥協しました。タクシーは高いので、ペチャマシーンに乗ってホテルへ行うことにしましたが、それが大正解でした(25,000ルピア、200円)。何と、ホテルの看板が予約のホテル名と違うのです?!もし歩いていったら、暗い中うろうろしていたんだろうと思うと、運が良かったと思いました(去年、バンコックでひどい思いをしました)。後で取った、駅前の写真です。近代的なCenter Point(着いたときに最初に見た駅の外の写真に写っているショッピングセンター)側から撮りました。


更に、ホテルへ着いたら今度はワイファイがつながらず、2-3時間かかって、ネットワークアダプターをインストールしろとあったのでそれを行うとやっとつながりました。何とかなりましたが、大変な一日でした。旅をしていると、こんな日もあります。


在来線の駅の発券所です。エレクトロニクス化が進んでいます。


在来線の電車です。ディーゼルの古い列車でした。


一番の名所のマイムーン王宮です。王宮の前は広場になっており、市民に開放されているらしく、前日が日曜日だったので、周りはごみだらけで、おじさんが掃除中でした。

王族用の椅子もあって、誰でも座ることが出来ました。

今でも裏っ手に王族の末裔が住んでいるのだそうです。


次の名所のマスジットラヤ(イスラム教のモスク))行きましたが、そこで日本のインドネシア大使館に6年間勤務したと言う方に話しかけられ、信者しか入れない礼拝所の中に入れてくれました。日本語もたどたどしくなっていましたが、優しい方でした


ホテルの前の通りは、朝晩の通勤時間帯は、大渋滞でした。ミニバスがいっぱい走っていて、庶民の足となっているそうです。ドアを開けたまま走る、青色の車です。


空港からの電車で来たときは、何と進んでいるのだろうと思いましたが、近代的なのは空港からの電車とショッピングモール(タイのほうが寄り近代的かも)だけで、他はアジアの喧騒の町で、歩き甲斐のある街で安心しました!? 通りには、下の写真のような掘っ立て小屋みたいな食堂がいっぱいあり、食事をしたり、コーヒーを飲んだりしていました。


中央駅の近くで、メダンモール(余り近代的でありませんでした)に続く道ですが、舗装されておらず凸凹で、側溝はふたが取れたり欠かけていたりして、どぶの臭いがきつかったです。やはりイリゲーションが出来ておらず、溝などはどぶだらけ、ごみだらけで、結構あらゆるところがどぶくさかったです。


メダンモールの駐輪場ですが、庶民の足はやはりまだバイクみたいです。


メダンモールの近くの食堂でスープヌードル(12,000ルピア、100円)を食べました。ゆでたまご付きでサラミもどきが入っていました。

店の中から通りを眺めた風景です。


中央駅の近くに古本屋さんが、3軒ありました。並べ方が分野別に整理されておらず、ぐちゃぐちゃです他。。。他の都市では余り見ません。文化的なところもあるのでしょうか。


通りを歩いているとバスの周りに人が集まっていましたが、何と定期健診のバスでした。


チェスをしていました。例によって、左側のおじさんに一緒にやろうを言われましたが、見るだけにしてもらいました。写真を取っていいかというと、めがねを拭いて、頭を撫で付けていました(余り変わらないような。。。)


やはり最強のKUMONがありました。


その前に、KUMONに対抗して(?)、天才育成の塾もどきがありました。


中央駅の裏側に広い運動公園があり、数は少ないですが、夕方老人をメインとして、老若男女がウォーキングをしていました。


高校のマーチングバンドでしょうか、練習をしていました。きびきびして、若々しかったです。


駅の近くに大きな仏教寺院があり、中国系の人がお参りしていました。左下に見えるのが駅前のCenterpointです。


道教の関帝や千手観音の仏像がありました。家内安全、長寿をお祈りしました。


オランダのコロニアル風の建物も良く見られました。これは大きいほうで、こじんまりとしていますが、しっかりしたものもありました。


公園の近くの食堂で、若者がPCを使っていました。そのテーブルには電源タップが備えられています。


工事中の建物です。何と竹で1階の支えをして、更に2階にも竹を立てていました。香港では、今でも高層ビルの建設、メンテに竹を使っていますが、強くて折れなくてしなるからいいのでしょうね。


宿の帰る途中には、建築中の高層ビル(30階以上と思われる)が3棟ありました。アジアは何処へ行っても建築中のビル、工事中が多いですね。手前の左側のビルも建築中です。

  
路地がありました。庶民の生活の場です。


その前に古い建物ですが、屋根がトタンでした。雨が降るとうるさいでしょうね。古い建物でトタン葺きはよく見かけました。


骨董品屋です。何年も触っていないような品々に見えました。右側のボックスで作業をしているみたいです。

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