老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

ミャンマー最南端の街コータウンから北のほうのインレー湖に移動

4月4日朝最南端の町コーウェイの空港からヤンゴン空港、ヤンゴンからは夜行バスでインレー湖に4月5日朝5時ごろ何とか到着しました。



コーウェイ空港の冷房の設定温度は30度でした。その風邪は冷たいぐらいでした。外がどれだけ暑いのか?!
インレー湖の近くの田んぼの堀で、牛が水に浸かってました。一番右の牛と目が合ってしまいましたが、ドロンと気持ち良さそうでした。



コータウン空港から、ダウェイ、ベイを経由してヤンゴンに着いた飛行機はプロペラ機でした。大学のころ沖縄本島から久米島にキャンプに行ったとき以来ですから40年ぶりでした。


ミャンマーでは日本からの中古車の輸入が多いみたいで、日本での表記をそのまま使っている車が多いです。たとえば、バスで伊勢志摩観光のバスが走っていたり、何とか工務店のと書いてあるをよく見かけます。ただ、レンタサイクル屋さんで借りた自転車が埼玉県警とはさすがに驚きました。


田植えをしていました。懐かしい風景ですね。子供のころはよく見た風景でした。今はコンバインですからね。
田植えに限らず、子供のことに見た風景がここにはあります。アジアを旅するのがすきなのは、無意識に昔の風景を求めているからなのでしょうか。


西洋将棋をしていました。コータウンでも見たのですが,そこではちゃんとチェスのこまを使っていましたが、なんとボトルのキャップを使っていました。見てるとちゃんと駒ごとに動きが決まっているみたいでしたが、どうやって区分けするのか?


この安宿は、川に面しているのですが、ひっきりなしに通るのでうるさくてしょうがないです。エアコンの無い部屋なので窓は開けざるを得ないし、、、船の朝のラッシュ風景です。すごく混んでいて、なかなか前絵進みませんでした。何処でもあるのですね。ただ、明け方は寒いぐらいで、船頭さんたちがジャンパーをはいているのが最初は不思議でしたが、舟で外へ出ると寒いです。また風が吹くので、日差しを避ければ、まだ過ごし易いです。

タイの最南端の街コータウンに到着

最初の目的地のタイの最南端の町でタイと国境を接するコータウンの街に着きました。良いですね、この雰囲気は。旅好きでボーダーが好きな人が多いですが、やはり良いものです。対岸のタイの町へ渡し船がいくつも出ています。

4月1日の午後7時ベイ発の夜行バスで、朝6時ごろ到着しました。ベイまでは途中の川がすべて濁っていましたが、コータウンへの途中の川はきれいでした。小川では、なんと豚の親子が水浴びをしていました。ヤギ、牛はよく見たのですが。。。山間部はパームやし、ゴムの木のプランテーション、平地は田んぼが続いていました。



最南端の地に立ちました。右側に見える島までがミャンマーで後はすべてタイです。向こう岸が他国と言うのは、一昨年にチェンラーイのメコン川の対岸がラオスと言う経験をしましたが、あの時はラオスの人の生活音が聞こえてきたのですが、こちらでは人の行き来の港に国境を感じます。海と景色はきれいです。夕日がきれいでした。



アウンサンスーチーさんの政権の大統領就任を祝う食事会がもようされており、中国系オーナーの振る舞いでよばれてゴチになりました。日本でも非常に注目を浴びていると言うと、喜んでいました。


国境の町によくあることですが、裕福な国から貧しい国へ物価が安いので買い物に行きます。シンガポールからマレーシア、香港から中国本土などですが、イミグレのところで、缶ビールの箱を2箱背負ったアメリカ人が乗り込んで生きました。おそらくタイに住んでいて休みの日に買出しに来たのですね。



朝、ピーダーウェーパヤーで子供たちを含む若い人たちが掃除をしていました。仏像に国の名前が書いてあるのがあったので、一生懸命日本を探しましたが、見つかってほっとしました。スリランカ、ラオス、カンボジャなどの仏教国でしたが、なぜだか中国、台湾は無く、なぜだか韓国がありました。何のためにあるのか若者たちに聞いてみたのですが、英語もほとんど通じず分かりませんでしたが、まあ港町で世界の交流があると言うことでしょうか、と一人合点しました。


最初の目的は達し、明日は飛行機でヤンゴンへ戻り、また夜行バスでインレー湖へ向かいます。ネットの状態がよくてブログ書けましたが、これからどうなるか。。。

モーラミャイにて

メールで送ったものですが、写真も全部送れずわかりにくかったと思うので、練習がてら再度編集しなおしてみました。ここタイとの国境の町コータウンの安宿には部屋にWired接続のインターネットがあって、ミャンマーで一番安定しています。辺境強し。



モーラミャイのナイトマーケットで軽トラックの日本のまきすしの屋台が出ていました。20年かけてもまだ完成しないという寝仏像のあるモーラミャイでまた偶然会いました。日本で17年間も出稼ぎして、今は母親と実家で住む親孝行のウッティンリンさんで、英語が通じず、バスに乗るのも大変なので、バスの来るところまで連れていってくれました。困っているときに助けられると言う構図が良くあります。親切に感謝です。



モーラミャイの対岸のビルー島を見てきました。シンプルな治具とおばさんのスキルで、椰子の実からできた繊維をほぐして、たわしみたいな丈夫な外敷マットを作っていました。また、昔ながらの機織機でロンジーを編んでいました。第2時次世界大戦のときに、日本兵が伝えた技術だそうです。




ビルー島では結婚式も参加させてくれました。自宅で近所の人が訪れます。家も前に巨大なスピーカーを何台か置いて、すごい音量で音楽を奏でていました。