老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

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ブログサイトの引越し中です。写真アップできました。


ヤンゴンでの興味を引いたことを書きます。



女の子たちの修行僧の朝のお勤めです。ピンクの僧衣を着てかわいいですね。タイ、ラオスでは男の子だけでしたが、ミャンマーは女の子もいるのですね。


Immigrationで、ビザの延長にいったときの話。日本の情報では、Tourist visaは、28日間有効ですが、ここ現地のImmigrationで申請すれば、2週間延長できると言う話でした。今回は10日ぐらいの延長が必要なので、それで申請書類は揃えており、やっとのことでImmigration Office(街中になりました)を見つけ、入っていって窓口で聞いても、Noと返事するだけで取り合ってくれません。もう一人通りかかった職員にVisaの延長の件を聞くと、No, you cannotと吐き捨てて(窮地にある僕にはこのように聞こえました、「そんな事出来ないよ」と言われたようなものですよ)、行ってしまいました。周りをうろうろしていると、この掲示がありました。要するに、1日3ドル払えば、90日間は滞在可能で、関連役所で申請することと書いてあります。関連役所とは、最後に出国するときに申請すれば良いと解釈しましたが、いまいち不安でうろうろしていると、日本語の分かる若い女性(何かの申請に来たみたいで、近くのいすに腰掛けていました)が、「何か困っていますか?」と聞いてきたので、困っているも何も大いに困っていると説明すると、その方は意を決したように事務所の中に入っていき(入っても誰も何も言いませんよ!イミグレ事務所の中ですよ!?)、一番奥の偉そうな人のところで確認し、呼んでくれて、出国のときでいい、延長の間ミャンマーにいてもIllegalで捕まる事は無い、と説明してくれました。シャイなおとなしそうな若い女性の方でしたけれども、困っているのを見ていられずに助けてくれたという感じでした。本当に助かりました。日本の企業に勤めていて、将来は日本に行きたいそうです。それにしても、役人は本当につっけんどんでした。 ミャンマー大使館もそうですが、情報の流れの仕組みもまだできていない感じでした。役人は書類にはんこを押すのが仕事みたいにわき目も振らずにはんこを押してました。

Interest things and events

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インレー湖の安宿の後半の日々は、インターネットは不安定で切れっぱなし、それも電気もほとんど切れた状態で、何もできませんでした。4月10日早朝4時に夜行バスでバガンの安宿に着き、バガンで1,2番のシュエジーゴンパヤーの朝焼けを見て、街中、市場を見てきました。やはり、市場は活気にあるれて、雑然としていますね。


バガンの安宿でのインターネット状態はこれまでのところ良さそうなので、これまで2-3回書いては消えてしまった記事と写真を今回はアップできればと思っています。


ヤンゴンで郊外を含めて1周する列車がありますが、これはぜひお勧めです、時間は3時間ほどかかり、ヤンゴンの人々の生活が見えるだけでなく、なんと料金は200チャットすなわち20円です。間違いじゃないですよ、20円ですよ。
ヤンゴン中央駅を探していたら、お年寄りが英語で話しかけてきて、日本を知ってるとか調子を合わせ、退職して暇なので、連れて行ってくれるといってくれました。怪しいと思ったので、料金を聞くと、1,000チャットだと言います。まあ、100円ですけど、5倍ですからね。ホームのキップ売り場を避けて事務所に入ろうとするので、先に入って切符を買い、20円を払いました。列車に乗るとき、後をついてきてコーヒー代くれと言うので、ちょうどあった50チャット札(5円)をあげました。まあ、助かったことは確かです。英語のうまいなかなかインテリジェントそうな人でしたけど、小遣い稼ぎをしているみたいですね。



この列車に乗りました。日本の中古列車です。車も日本の中古車が多くて、日本での表記のまま走っています。


しばらくすると入り口(ドアが無い)や窓から野菜などの荷物が投げ込まれ、あっという間に貨物列車に早代わりです。中には野菜の選別作業を始める人もいました。いつものルーティンなのでしょう。


目の前の写真です。この野菜が時々落ちてくるのですが、最初は知らなくて茎を持とうとしてとげがあり刺さってしましました。バラの茎の野菜でした。その後は当然気をつけましたが。。。



なんとここまでうまく行きました。また停電、ネット切れがあると困るので、これだけアップします。うまくいけば次の記事を書いて、アップしたいと思います。

ミャンマーに来てはじめて分かったこと

ミャンマーの最南端への旅を終え、比較的時間ができたのと、インレー湖のインターネット接続状況が今は良さそうなので、これまでに分かったこと、感じたことを羅列します。硬軟取り混ぜ、とにかく感じたことだけを書いているので、内容的には統一性がありませんのであしからず。

1.車の走行車線の不思議
ヤンゴン空港から市内に向かう車の中で気づいたのですが、ほとんどの車の運転座席は右側(日本と同じ)なのに走行車線は右側(アメリカと同じ)なので、安宿のスタッフ(英語もろくに通じませんが)とか近くの日本料理店の新橋横町のマスターに聞いても「さあ不思議ですね」と言うだけで分からなかったのですが、バゴーのホテルオーナーによると、イギリスの植民地だったので元は左側走行だったのを、軍事政権が1962年にできたときに、これまでの仕組みをすべて変えるということで、車線も変更したそうです(?!)バスを道路の右側に止め、センターライン側から出入りするのですから危険ですよ。対向車は来るし、クラクションを鳴らして追越するし。。。新橋横町にある本によるとミャンマーの95%は日本車だそうで、自動車メーカーは期待しているでしょうね。

2.ヤンゴンの中心のスーれーパヤーの隣の公園にて(マハバンドウーラ公園)
町歩きの際にちょうど待ちの中心にあるので、よく休んでいましたが、昼間からアベックが傘を立てて座ったり寝そべっていたりしていちゃいちゃしているのを見ました。ましてや夕方となるの傘また傘ですよ。他のアジアの国では見られないことでまさか敬虔な仏教国のミャンマーがそうだとは思いもしませんでした。若者はおしゃれで、美容院、床屋が多く、混んでますね。男の子は髪は立てるは,染めるはで、Koreanスタイルがはやっているのでしょうか。これも来てみないと分からないですね。ミャンマーのイメージの中には無かったです。

3.人、文化、宗教は海を越えてやってくることを実感
当たり前のことですが、ミャンマーの最南端を目指して旅しているときに、海からやってくるのだなと実感しました。地図を見ると分かりますが、南側は細長く海に沿って街ができています。特にモーレミャイは大きな川(タンルウィン川)のほとりで昔から港湾都市として栄えた街らしいですが、中華系(仏教)、インド系(ヒンドウ)、中近東系(モズリム)がそれぞれの寺院を中心としたエリアに住み、それもお互いに仲良く暮らしていました。お互いに遠い国からきて、それぞれの宗教を尊重しあって生きているのを見ました。ちょうどヒンドウのお祭りをやっていて、トラックを飾り付け大音響でその後ろを着飾った人々が踊りながら行きました(スマホが電池切れで撮影出来ず残念)。安宿の69歳のオーナーは私たちは仲良く住んでいるといっていたし、ローカル飲み屋で会った英語の少し分かる人もそう言ってましたね。でもみんなお互いに気を使いながら生きていて、何かあると一触即発の可能性もあり、大変だろうなとも思いましたが、このローカル地方では伝統的にそうなることは無いのかなとも思いました。複雑です。宗教は人間が作ったものなので、不完全で宗教のために殺しあうのですから、大変なものですが、お互いに知恵を使って気遣って生きている限りは平和に暮らせるのでしょうね。


とりあえずこれだけで、ネット環境が良ければ、次は写真付で遭遇した不思議なことを書きましょうか。