老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

マケドニア、スコピエにて

ブルガリアからマケドニア、スコピエへの途中の景色です。やはり、寒そうです。


スコピエのバスターミナルの周りは閑散としていて、街の中心がよく分かりませんでしたが、聴きまわってやっと分かって向かうと、2階建てバスが走っていまた。観光を意識したものだそうです。


市街はライトアップされていて、光栄えしていました。


携帯カメラも腕も悪くて、こんな写真です。でも、ライトアップの効果は分かってもらえるのではないかと。。。


僕にしては高い2千円くらいのいいホテルでしたので、朝食をレストランで食べてみました。3ユーロ(380円)なり、高い?!他にお客さんはいなかったですが、おばあさんが作ってくれて、うまかったです。この写真も撮って貰いました。 


町の中心から安宿に向かった行く途中に、空手道場の看板がありました。空手はラオスにいたときも見ましたが、意外なところで頑張っているのですね。。。。


途中の住宅街に、カジノがありました。日本における、パチンコ屋みたいなものでしょうか?これまでのたびでは、普通に見られました。


駐車はやはり路上が多いですね。


途中にお花屋さんが何件も連なっていました。のぞいてみるとそれぞれおばさんたちがブーケ作りに専念していました。


マザーテレサの出身地なんですね。この世界には色々な宗教があるが、イェスキリストを信じ、献身的な活動を続けられた意味では、宗教は価値があるかなと思いました。


「近くにいる人を愛しなさい、そしてそれを広げなさい。会った人を全て幸せにしてあげなさい。それが、すばらしいことです。」まったく同感です。


オールドマーケットへ行きました。そこはモズリムの世界でした。このチャイは20円です。


ちょっとはなれたところに変わった形の地元のキリスト教の教会がありました。





移動の途中の写真です。寒い!

ブルガリア、ソフィアにて(その弐)

写真を羅列しすぎると、ブログ作成をしていて、よくハングルので新たなページにします。


アパート(いわゆる民拍)のオーナーのおばあさん(後で考えてみると、一人暮らしみたいですが、英語がうまくてインテリジェントレベルのかなり高い方でした)が、バスでそこへ行き方を懇切丁寧に書いてくれたものです。下の2枚のスリップは、バスの運転手に見せるようにと、キリル文字で書いてくれました。


Boyana Churchへ行くべくバスを降りて向かっていると、坂を登り過ぎてしまい、降りていく途中の眺めです。街中がかすんで見えます。

降りていくと裏手に出ました。真ん中に見えている建物の中にフレスコ画が描かれています。


表門の写真です。残念ながら建物の中のフレスコ画は撮影禁止でした。


その壱に写真を載せましたが、街中のあちこちで、日本の正月飾りみたいなものをが飾ってあり、何かと思ったのですが、3月1日には親しい人同士で健康と幸せを祈って交換をするものだとの事で、なんと私にもいただきました。もちろん道義として、これより立派なものをお返しとしてお渡ししましたが、今度はチェックアウトのときに、自分で描いたリラの僧院の近くにある質素な家の絵(プロ並です。もらうのを躊躇したのですが、押し付けられました)を、プレゼントでくれました。心から親切な方でした。


リラの僧院のありきたりの写真です(証拠写真?!)。雪解けでびちゃびちゃです。残念ながら、一番興味のあった左奥にあるのフレリョの塔は、閉鎖してして見れませんでした。

僧院の左側にあった絵ですが、羽の生えた戦士が、老人の僧侶(?)を踏みつけている写真で、キリスト教の教会では珍しいので、撮ってしまいました。


入り口です。背景の山々の雪がきれいで写真を撮ってしまいました。


リラの僧院からの帰りに、バスターミナルの近くの5番のトラム駅から街とは反対側に向かって、終点まで行くことにしました。直木賞作家の田中小実昌(コミマサと読み、コミさんが愛称でした)のその飄々とした風貌と大胆な(?)言動が好きでしたが、彼は何処にいてもバスの終点まで行くのが好きでそれを思い出して、遊んでみることにしました。


最終駅は戻るためにロータリーになっており、トラムを出て左側には温泉の鉱泉水が出ていて、トラムから降りた人たちも家へ向かう前にボトルに詰め込んでいました。


トラムを降りた右側へ行くと、広いとおりがあり、左に曲がると甘いものもビールも一緒に売っているカフェみたいなところがあり、早速入ってあまりやらない昼ビールにしました。コミさんにあやかって、本当にゆっくり出来ました。


パン、チーズ、ハム、牛乳、きゅうり、トマトを買ってきて、安宿で朝食です。安上がりで簡単です。果物ナイフは旅の必携品となりました。


ちょっと醜いものをお見せしますが、なんと洗濯のために指が擦り切れてしまいました。声までのアジアの旅では短パン、Tシャツ、パンツ、靴下だけで楽でしたが、今回は長袖、長ズボン、長袖下着、ズボン下、パンツ、靴下とすごい量になりました。マフラー、手袋も時々洗います。思いもしないことが起こるものです。このあと少しかさぶたになって、今は丈夫になっています。

ブルガリア、ソフィアにて(その壱)

ソフィアでも色々な予期しなかった遭遇がありました。今、アルバニアのサランガでソフィアでのことを思い出しながら、書いているのですが、なかなか日本のルーティーンの生活では出来ない貴重な体験もありました。


夜行バスでソフィアに着き、バスステーションで夜明けを待って外へ出てみると、そこは粉雪が舞っていました(写真では分かりづらいですが)。


安宿に歩いていく途中になんと日本料理屋がありました。それ以外は余り見かけなかったです。


セルディカの遺跡の通り道にぽつねんと置いてあった石碑で、下の2つの顔がオカメとヒョットコに似ていたもので、撮ってしまいました?!


すごいですね。こんなものが2世紀にギリシャ、ローマから見ると辺境ともいえる地に建てられたのですから。


教会跡で写真を撮ってもらいました。


バーニャバシジャーミヤへ向けて全体像を撮ってみました。余計な顔は無視ください。



道路を隔てて向こう側が民泊のアパートで、その前にバス乗り場があります。掲示パネルがあって、バス番号、到着予定時間、待ち時間を見ることが出来ます。シンプルで良いですね。ここからBoyana Churchに行きましたが、その弐にある出来事を書きましたので、参照ください。


街のあちこちで、日本の正月飾りみたいなものが売っていましたが、それがナンなのかその弐に書きましたので、ご参照ください。(前後して済みませんが。。。)