老人バックパッカーの旅

老人バックパッカーの旅です。期間限定ですが。。。
世界旅に出るごとにブログをアップデートするつもりです

帰国しました

4月21日に帰国し、PCを新しく購入しました。やはりスピードが違うのと、何よりハングアップすることがなさそうです。写真は、トランジットのために(安い航空券なので)モスクワ空港にだいぶ滞在しましたので、時間がたっぷりあり、それを利用して四苦八苦しながらアップロードしました。これから、旅の続きを思い出しながら、この記事以外はできれば時系列に書いていきたいと思います。


イスタンブールでは、市内から路面電車(メトロもあり)で6駅ほどのところの宿をとりました。これまではドーミトリーだったのですが、今回は最後の長ーいフライト(イスタンブールーモスクワー成田)に備えて、体力を温存するために個室にしたため、市外からは少し離れましたが、良いところでした。その前の駅までは繁華街という感じでしたが、この駅を降りると地元の人の生活の場みたいで、宿も外人は一人もおらず、仕事で来ているような現地の方みたいでした。ATMもなかったです。実はトルコリラもたくさん持つと後が大変なので、必要最小限だけにしていたのですが、お土産を買ったりして、現金が足りなくなり、おろそうと駅の近くけ行ったら、ATM が見つからず、路面電車で市外に向かうと1駅目にATMが見つかりました。それで、宿のある街がローカル色の濃い街だと気づきました。時間もあり、その古さも気に入って、床屋にも入り髪を切りました(残念ながら、写真を撮り損ねました)


宿のオーナーで、常にそのボックスの中におり、カギと金の管理をしていました。もちろん英語は話せず、頑固そうでしたが、こちらが笑顔で話すと快く対応してくれました。宿代は1,500円(安い!)でシングルのはずでしたが、ダブルベッドが置いてあり、窓もあって快適でした。


宿の近くにはバスセンターがありました。背景はトプカビ城壁です。


その前のビルにチャイ屋さんみたいなところがあり、地元の方(年寄りが多い)がたむろしていたので、中に入ってみると、一見チャイ屋さんですが、、、


皆さんカードゲームをしていました。どこでもいっしょですね。

アルバニア、ティラナにて

今ポーランドのワルシャワですが、何とかここまで完成できました。すぐにハングアップするので、これ以上は無理です。帰国後(4月中旬予定)時間が有れば、書きたいと思っています。最後はルーマニアから、イスタンブールによって帰国の予定です。


アルバニアのティラナへのバスのキップを買うべく、バスターミナルへ行くと、オフシーズンなのでオフリドからはバスがアルバニアに出ていないことが分かり、それからが大変でした。受付のおばさんはめがねをかけた冷たい人でしたですが、しつこく聞いてストラーガという町からバスが出ているとところまで聞き出しました。ストラーガまでどうやっていくかと聞くと、どのバス停からも乗れると言い張ります。どうしようもなくて、前の旅行社で聞くと、停留所を教えてくれましたが、かなりメジャーな路線でした。隣町のストラーガまで行き、街中から歩いて何とか郊外のバスターミナルに着きました。


物の本によるとアルバニアはヨーロッパの最貧国であると書いてありました。これまでよく行っていたアジアの感じからすると、ネパールかミャンマーのイメージで考えると全然違うところでした。インフラはしっかりしているし、街中では新しいビルの建設も進んでいました。


暫く行くと学校みたいですが、大人が入っていくので、入っていく人に聞いてみるとここは夜間学校で、週に3回仕事が終わったら来るそうです。最貧国といっても移住してくる外国人に対してもそれ相応の対応をしているみたいです。日本はどうだろう?と考えてしまいました。


暫く行くと桜もどきが満開でした

やっぱり桜でした。すこし小ぶりで、山桜に近いですかね。


バスターミナルに向かっていく途中に小学校だと思いますが、民族舞踊のイベントが行われていました。


バスレーンではなくて、バス・タクシー専用レーンが有りました。


他の国に対する発着のあるバスターミナルです。バスキップの販売カウンターは無くアジアのバスターミナルみたいに雑然としていました。


安宿の近くにハーフチキンを食べさせるみせたありました。うまかったです。ビール大瓶こみで300円強です。


郊外の広い公園(最貧国?)に行くと、桜の道がありました。


見事に満開でした。

ゴミ箱に日本からの寄付ですと書いてありましたが。。。せこいですね?!


公園内ではマージャンパイみたいなもので、賭け事をやっていました。同じ数をそろえていって、点数もつけていました。マージャンみたいに点数をつけていました。


街中でも同じく丁々発止やっていました。大声で罵り合いながら((そのように見える)も和気藹々(?!)と楽しんでいました。


工事の途中で遺跡が見つかったのかカバーをかぶせて中断しています。大変ですね、掘れば遺跡が出るので、工事がうまく行かなくて。。


安宿近くの床屋で、髪を切ってもらいました。300円弱でした。このおじさんは最初はぶっちょうずらでしたが、気のいい方で、年寄り(自分のこと)の耳下、眉毛の処理を丁寧にやってくれました。

床屋の中から手を振ってくれました。残念ながら、写真では見えませんが。。。

安宿の前は廃墟で、浮浪者が住んでいました。浮浪者、こじきがいますね。


マケドニア、オフリドにて

度々ハングアップするので、スコピエ編をアップするのにだいぶ時間が掛かりました。この状態が続くと、アップすることが難しくなりそうです。まあ、出来るだけ続けます。今はもうクロアチアの首都ザブレグに来ています。


民泊のアパートに着きました。庭先のベンチに荷物を置いて、暫く待ちました。オーナーはすごいお年寄り(僕も爺ですが)でしたが、非常に親切でした。ここではシングルの部屋にしたのですが、泊まっているのは僕一人で、広いドーミトリールームは誰もいませんでした。ドームにはTV、テーブル、キッチンもあるのに、使えずじまいで、それに引き換えシングルルームは狭くてベッドだけです。おまけに僕一人だからとセントラルヒーティングは入っておらず、寒い一日目を過ごしました。オーナーに言うとオイルヒーターを持ってきてくれて、昨夜言ってくれればと言われましたが。。。シーズンオフなので訪れる人が少なく、ドームも空いていることが予測されますので、これから先は、ドームにすると決めた次第です(基本的にドームに慣れるとまあ何とか過ごせることが分かりましたが、この時点で振り返ってみてもこれもまた色々有りました。。。)


旧市街の岬の先端の有名な聖ヨハネカネオ協会の崖の下にこじんまりとした小さな教会を見つけました。中の自然の岩穴を利用した原始的な聖殿で幽玄なものでした。残念ながら、暫く感激していてさあ写真を撮ろうとすると、教会関係の係員みたいなのが出てきて、写真はだめだと言われてしまいました。ついでと言っては何ですが、写真を撮ってもらいました。


右上に見えるのが有名な聖ヨハネカネオ教会です。


岬の先をすこし登っていくと、二人の中年男がワインを飲みながら海を眺めていて、昔子供の頃はここから海を見て、いつかそこから出て行くんだというような話をして、今は学校の先生をしながら時々旅に出ていて、東京にも暫くいたことがあるそうです。そのときこの二人の生徒が通りかかったので、案内しろといったかどうかは知りませんが、こちらからお願いしないのに(英語も出来ない)暫く案内してくれて、最後に小さなマグネット付き写真までプレゼントしてくれました。固辞したのですが、もらわざるを得ないことになり、カフェで何か飲み物でもと思ったのですが、サミュエル要塞で帰らなければいけないと爽やかに去っていきました。本当にいい人たちですね。

写真も取ってもらいました。


アパートのおばあさんは本当の昔かたぎの方で、朝コーヒーを飲みに来いと言われていたのですが、そのまま出ようとすると半強制的に中にいれれれて、コーヒーだけでなく、手作りのおじやのゆるいようなもの(左下)、フルーツを半つぶしにしたもの(左下)、チーズ(右上)などをご馳走してくれました。それ以外に手作りのラキア(果物から作る40度の蒸留酒)もご馳走してくれましたが、フルーティでしたけど、のどに悪そうです。兄弟なのか親戚なのか二人の方が一緒にいて、その隣にはだいぶ疲れていそうなおじいさんが横になっていて(正直驚きましたが)、喜んでくれました。


オフリドからアルバニアのティラナに行く途中の風景です。